「すごーい!大きなお部屋だね」
ホテルへ到着し、チェックインを済ませ、部屋の中へ入ると、さゆが興奮を隠さずに感嘆の声を上げた。
「愛君のマンションもすごかったけど、もっと広いよ、このお部屋」
きょろきょろとしながら、忙しなく部屋中を歩き回り始める。
「丁度、倍くらいかな。そもそも、部屋の数が違うよ」
私は、どこかの国の王室にも引けを取らないであろうほど豪華な装飾に目を向けながら、大した感慨も込めずに言った。
私の抱えている問題は、ディズニーリゾート・ホテルが誇る最高級のスイートルームでさえも色褪せて見えてしまうほど、
私を苦しめていた。
とにかく、今はさゆとキスがしたかった。
九階へ昇るエレベーターの途中で、私はさゆに迫ったが、さゆは私のキスを拒んだ。
私たちを部屋へ案内するためのボーイがそのときエレベーターに同乗していたから、というのがその理由らしい。
なら誰も見ていなければいいのだろうと、私はまだバッグを肩に掛けたままのさゆを掴まえ、
強引にその身体を引き寄せ、ベッドルームへと導いた。
「まって、愛君。さゆみ、汗かいちゃったから、シャワー浴びてからにしよ」
そんなの気にしないのに、と、年頃の女子に対してデリカシーのない文句を言う私を尻目に、さゆがバスルームへ消えていく。
いつになくどこかよそよそしい、さゆの態度。
それとも、そう感じるのは、私の中にある何かが変わってしまったということなのだろうか。
しばらくベッドの上で一人途方に暮れていると、隣のバスルームから水音が聞こえてきた。
私は自分の背負っていたリュックをようやく肩から下ろし、サイドポケットに仕舞っていたさゆの携帯電話を取り出した。
片手で一度、祈りを込めるように強く握りしめ、それを部屋の窓際に置く。
それから、私はさゆを追って脱衣を済ませ、洗面所を通りバスルームへ続くドアを開けた。
白を基調とした大理石の壁面が目に飛び込んでくる。
入り口のすぐ右には、透明なガラスで覆われたシャワーブースがあった。
その中に、湯気を立たせながら美しい肢体を惜しげなく艶めかす、さゆがいる。
さゆは髪が濡れないように、長い黒髪を後頭部で幾重にか束ね、それをピンで高い位置に留めていた。
私はそのまま通り過ぎ、ルームの奥にあるブロアバスに湯を貯め始めた。
ホテルのアメニティグッズの中にバラの形をしたバスソープがあったので、それを投げ入れる。
私がバスタブの縁に座り、さゆがシャワーを浴び終えて出てくるのを待っていると、
ブースの中にいるさゆの顔が私を見つけて明るく華やいだものに変わった。
湯気で少し曇ったガラスを内側から指で何やらなぞり始めたかと思うと、
数秒で、私のいる位置からでは裏返って見えるのだが、両端にそれぞれ『あいくん』『さゆみ』と書かれた相合傘が完成した。
私がそれに近付くと、さゆはシャワーを止めた。
ぴた、と訪れる静寂。
部屋中に広がっているのは、ローズの甘い香り。
目の前には、さゆの白い肌。
私はガラスに手を当てた。さゆも私に合わせて、反対側から掌をあてがう。
それから、どちらともなくガラス越しに唇を重ねた。
「…さゆ。好きだよ」
防音ではないから、声は聞こえるはずだった。
さゆはお互いが隔たれている状況をわざと楽しんでいるのか、敢えて口だけを動かして、『さゆみもすき』と応えた。
自然に、さゆの胸へと手が伸びていた。もちろん、直には触れられない。
それから、またキス。さゆも熱を持って応じてくれる。
直接的な刺激を受けられないこの状況が興奮を誘ったのか、私のペニスは荒々しく勃起していた。
私は無意識のうちに摩擦を求め、ガラスにそのペニスを押し当ててしまっていたようだった。
それに気が付いたさゆは、ぺたり、とアヒルのようにかわいらしくその場で床に腰を下ろして、私のそれに向かって舌を伸ばした。
さゆの舌が、私の性器を食そうとする卑猥な消化器官と化し、ガラスの向こうでちろちろと動く。
その薄いピンク色が私の前で蠢くのを目の当たりにして、私は我慢ができなくなり、自分のペニスを手で握った。
包皮を上下させ、陰茎をしごいていると、
さゆの目がポルノ・ビデオを見ているように虚ろな色気を帯び、自慰行為を始めた私に向けられる。
ねっとり、とガラスには舌を這わせたまま、さゆも自分の陰核を指でこすっていた。
隔てられた空間でお互いを見せ合う、私とさゆ。
二人が絶頂に達するまで、それほど時間は必要なかった。
綺麗だった透明なガラスは二人の濃密な体液で汚れ、こちら側から見えるさゆの姿には靄がかかったようになった。
私は、ともすれば何かを暗示しているとも思われたその光景を頭から打ち消し、ブースの角を回って、その扉を開けた。
さゆが声を上げた。
「あっ、だめだよ、愛君、中に入ってきたら。恋人同士が触れたくても触れられないっていう、このシチュエーションがいいのに」
「こんなのじゃ、全然、物足りないよ」さゆの腰に手を回す。
「さゆみも」さゆが私に抱きついてくる。
私はさゆの身体に触れながら、ベッドへ行こう、と促した。
バスルームを出て、さゆが軽く水を拭き取っている間に、私のペニスは再び怒張を始めていた。
さゆがベッドに寝そべって、束ねていた髪を振り解いた瞬間に、私はその上に覆い被さった。
柔らかな双丘に顔を埋め、さゆのその濡れそぼった蜜壺へ、剥き出しの欲望を挿し入れる。
すると、さゆが私に聞いた。
「愛君、ゴム、着けてる?」
さゆが避妊の意思を私に示したのは、このときが初めてだった。
私は首を横に振って、それから、腰を動かしながら答えた。
「また中に出すよ。いいでしょ?私の赤ちゃん、さゆに産んでほしいんだ」
「駄目だよ」と、さゆは微笑みながら返してきた。
「なんで?お金ならあるよ。結婚もして、二人で育てようよ」
馬鹿げた発言だということは分かっていた。
それでも、結びつきが欲しかった。私とさゆの間に、切っても切れないほどの、強い結びつきが。
恐らくは今日という一日が、私にそう思わせたのだろう。
さゆはもう一度うれしそうにしたが、さゆは頑なだった。
「だめ。愛君は、俳優さんになるんでしょ。この歳で結婚して、子供までいたら、重荷になるだけなの。
さゆみは愛君の夢の邪魔、したくないんだから」
私の呼吸は乱れ、心は軋むような痛みを訴えていた。
さゆは私と、きちんと向き合ってくれているのだ。
「さゆみのどこでも、愛君の好きなところにいっぱいかけていいから、ね」
「…っ!」
さゆは私に対し、どこまでも優しかった。
それは男を悦ばせるため、まださほど長くはない人生であるにも関わらず、
さゆがどこかで学んできた術の一つであることは、さゆと過ごしているうちに何となく分かったが、
それでも、健気で献身的なさゆの心と身に情が溢れて、それは狂おしいまでになって、私はさゆを力を込めて抱いた。
「あん、ちょっと、痛いよ、愛くん」
まるで、そうすれば身体が芯から溶け出してお互いに混ざり合い、一つになれるかのように。
「はっ、はあ、っ、さゆっ」
熱く煮えたぎった肉の塊を、何度も何度もさゆの内側へ滑り込ませた。
その灼熱に溶かされて、とろみのあるゼリーのようになったさゆの愛液が、
獣と化した私をより深く受け入れようと抽送の手助けをする。
「ああんっ…愛君の、やっぱり、太くて、大きくて、気持ちいいの…っ!」
さゆが喘ぐ。
「もっと、もっと、さゆみを突いて、さゆみ、さゆみを犯して…さゆみを、また愛君のものにして…!」
長い黒髪を乱し、眼は酔ったような光を帯び、口は大きく開かれて、はっ、はっ、と短く荒い息をも刻む。
そうして出来た穴に私が指を掲げれば、淫らに舌を絡ませることもする。
「すごくエッチだ。さゆ…!」
波打つ乳房の一つを空いた手で揉みしだいてやると、白艶に輝く肌が、弓なりに大きく仰け反った。
さゆの全身は、どこに触れても敏感な反応を見せ、まるで男に心地良い性感をもたらすためだけにあるみたいだった。
「愛くん…愛くんの、すごい、いいっ!」
剛直を打ち込む度に、さゆの口から美酒の靄とも感じさせる、淫靡な声が漏れ出す。
五感を、目の前に広がる白花にひたらせると、満身の骨がとろける感覚が私を襲った。
「さゆの中、気持ちいいよ…はあ、はあ…さゆみ…さゆみっ…!」
「あっ、ああっ!さゆみ、もう…っ!あ、ああんっ!」
私の唾液で光を反射するようになった妖艶な首筋を見せつけるようにして、顎先がぴんと跳ねたのはそのときだ。
同時に、さゆの声が聞こえなくなった。
びく、びく、とさゆの身体がリズミカルに小気味よく痙攣して、さゆの膣が閉じる貝口のように私を締め付けてくる。
私の全身も震えた。
「く…っ!」
ぶるぶると、私の総身の毛穴が粟立つ。
狂悦の一瞬。
中には出すまいと、渾身の力を込めて、私に吸い付かんばかりのさゆの身体から、何とか性器を引き抜いた。
行き場なく溜まりに溜まった精液が、ついに発射の許可を得て、勢いを付けて噴出する。
さゆの下腹部から臍周辺に放ったつもりの白濁は、さゆの顔にまで到達した。
余韻もそこそこに、さゆは惚けた顔で私の精液を指で掬い、それを口に運んだ。
「いっぱい、でたね」
私はその口に、嚥下を終えることすら待たず、ペニスを突き出していた。
「さゆ。こっちも、舐めて綺麗にして。すぐに続きがしたい」
てらてらとぬめり光るペニス。
付着しているそれが唾液なのか、さゆの潤滑液なのか、私が放出した精液なのかはもう見分けが付かなくなっていたが、
さゆは嫌がる顔などせず、笑顔で口に咥えこむ。
「今日の愛くん、なんだかいつもより積極的だね」
二度の射精を終え、それぞれ一回の射精には多すぎた子種を排出して弛緩した私のモノは、まだ再び膨らみ始める様子がなかった。
つまりこれが、一つの機会の到来を指していた。
今このときであれば、いつぞやのようにさゆに誘惑されたとしても、さゆに対する私の追求は終わらないだろう、ということだ。
それはさゆにとっても、私にとっても同様に逃げ道がないということだったが、私は既に意を決していた。
さゆの何気ないその一言を合図にして、瞬きよりは少し長い、といった程度の時間、一度大きく目を閉じた。
それは『演技』を始めるための、身も心も役に入り込むための儀式だった。
素の自分は身体の奥底へ沈み込み、入れ替わるようにして表層へ、もう一人の自分が顔を出すように。
地方で暮らしていた一介の高校生に上京という夢を果たさせ、高級な住居に住まわせるなど、
過ぎた待遇で迎え入れるほどに見込まれた私の演技者としての才能というものは、単純ではあれど、
こうして自らを殺し、与えられた役に没頭する能力にあるらしかった。
といっても、私にとっては演技に入る前に緊張を解くためのただの験かつぎでしかなく、その力を過信するほど自覚しているわけでもない。
私は自分を殺すことなどせず、ただ演じるだけだ。
真実を知った私を。
その私はさゆに答えた。
「あの、彼のように?」
その声は冷徹に満ちていた。
「こっちへ」
私の口振りに、呆気にとられ、呆然と私を見つめるさゆの手を素早く引っ張り、
ベッドから立ち上がったさゆの身体が私から見て後ろ向きになるように、部屋の窓際へ押し当てる。
サッシに置かれた携帯電話の存在に気付かせるためだ。
「それ、さゆのケータイだよね」
さゆは、思わずはっと口に手を当て驚きはしたものの、頷くことはせず、こちらへ振り向くこともせず、
私の真意を探るように、ただ黙っていた。
「答える必要はないよ。あの彼から受け取って、中も見たんだ。
今朝私宛に送信されてきたような、さゆのかわいい自画撮り写真があった。
でも、保存されていた画像は、それだけじゃなかった」
感情を込めることなく、ただ淡々と、私の台本に書かれた台詞を読んでいく。
「画像の中に、里沙の写真があったよ。
それだけじゃない。たくさんの、女の子の写真があった。
みんな赤く目を腫らして、着衣は乱れていて、それは一目見ただけで、誰かに無理矢理脱がされたのだと分かるほど」
さゆが神妙な面持ちで、こちらへ振り向いた。
私は続けた。
「さゆに出会うよりも前、今から一ヶ月ほど前かな。ある日突然、私のケータイに、里沙から着信があってね。
電話に出てみても、何の反応もない、無言電話だった。
ただのいたずらか、電波状態が悪いのかと、そのときはそれで納得できたんだけど」
私はさゆの目を見た。さゆは私の視線を避けるように、顔ごと背けた。
「なぜ里沙は何も言葉を発しなかったのか。おそらく、里沙は何かものを話せる状態じゃなかったに違いない。
では、そんな状態で、なぜ私に電話を掛けてきたのか。それは、分からない。でもね」
私は舞台役者のように、声を張り上げ続けた。
「画像が保存された日時と、その無言電話がかかってきた時間が、ほぼ同じだったんだ。
正確には、画像の時間の方が遅かった。
まるで、行為の後、口封じのため、撮影されたみたいに」
さゆの肩に力が入ったのが分かった。
「レイプだよ。考えなくても分かることで、もう誤魔化しようがない。
里沙はレイプされた。君と、おそらくは、あの彼によって」
私は独り言のように言った。
「男である私には、想像できないほどの恥辱さ。
正気の沙汰じゃないよ。
理不尽で、不条理。非道で、抗えない卑怯な行為だ。
画像に写っていた里沙の瞳にも、悔しさが滲み溢れていたよ。
私はあの里沙の姿を一生忘れられない」
さゆは黙っている。私に対し嘘を吐く気はないのだろう。
そのことが、せめてもの救いにさえ思える。
「君たちに、行為の動機を聞きたいなんて思っていないよ。狂人のすることに、理解なんて及ばない。
私が聞きたいのは、里沙に起こった不幸だけだ。
君たちが、あの電話の向こうにいたんだな?
里沙からケータイを奪って、私の名前を聞き出し、私に里沙の悲鳴でも聞かせようとしたのか?」
さゆはどちらとも答えなかった。答えないということが、質問の答えだった。
「あの彼は、私にそのケータイを見せたがっているみたいだった。
君は、私が里沙と付き合っていたことを、私のマンションで里沙に会う前から知っていたな?」
これは筋書きにはない質問だった。
私はさゆの反応だけに意識を集中させた。
「私が君に近付いたとき、私が君に名前を名乗ったとき、
君は私を見て、かくも愚かな男だと、そう思っていたのか?」
自分の言っていることが半ば事実だと自身で認めると、情けなくなって、私の声は震えた。
「違う。それは、ちがうの…」
さゆの瞳に生命が戻り、ようやく私に否定を示した。
「さゆみは愛君のことが、本当に…本当に好きなの」
それから、
「好きに、なったの」
と言い直した。
「始めは、絵里君と別れて、さゆみの寂しさを紛らわせてくれるなら、誰でも良かったの。
でも、愛君に出会って、愛君とおしゃべりしたり、デートするうちに、そう思うことはなくなったの。
この人なら、さゆみを幸せにしてくれる。愛君と一緒に居ることができれば、こんな…こんなさゆみでも幸せに、って…」
さゆの瞳は、画像で見た里沙の瞳と同じように赤くなっていた。
もう何も聞くべきことはなかった。
「私は君のことが大嫌いだ」
私が衣服を身に纏う間の数分間、肩を落としたままのさゆを残して、私はホテルの部屋を後にした。
全て、嘘の苦手な私が、さゆに見破られない嘘を吐くための演技だった。
これほど後味の悪い最低の役を演じたのは、このときを置いて他にない。
第二十一話へ...
ホテルへ到着し、チェックインを済ませ、部屋の中へ入ると、さゆが興奮を隠さずに感嘆の声を上げた。
「愛君のマンションもすごかったけど、もっと広いよ、このお部屋」
きょろきょろとしながら、忙しなく部屋中を歩き回り始める。
「丁度、倍くらいかな。そもそも、部屋の数が違うよ」
私は、どこかの国の王室にも引けを取らないであろうほど豪華な装飾に目を向けながら、大した感慨も込めずに言った。
私の抱えている問題は、ディズニーリゾート・ホテルが誇る最高級のスイートルームでさえも色褪せて見えてしまうほど、
私を苦しめていた。
とにかく、今はさゆとキスがしたかった。
九階へ昇るエレベーターの途中で、私はさゆに迫ったが、さゆは私のキスを拒んだ。
私たちを部屋へ案内するためのボーイがそのときエレベーターに同乗していたから、というのがその理由らしい。
なら誰も見ていなければいいのだろうと、私はまだバッグを肩に掛けたままのさゆを掴まえ、
強引にその身体を引き寄せ、ベッドルームへと導いた。
「まって、愛君。さゆみ、汗かいちゃったから、シャワー浴びてからにしよ」
そんなの気にしないのに、と、年頃の女子に対してデリカシーのない文句を言う私を尻目に、さゆがバスルームへ消えていく。
いつになくどこかよそよそしい、さゆの態度。
それとも、そう感じるのは、私の中にある何かが変わってしまったということなのだろうか。
しばらくベッドの上で一人途方に暮れていると、隣のバスルームから水音が聞こえてきた。
私は自分の背負っていたリュックをようやく肩から下ろし、サイドポケットに仕舞っていたさゆの携帯電話を取り出した。
片手で一度、祈りを込めるように強く握りしめ、それを部屋の窓際に置く。
それから、私はさゆを追って脱衣を済ませ、洗面所を通りバスルームへ続くドアを開けた。
白を基調とした大理石の壁面が目に飛び込んでくる。
入り口のすぐ右には、透明なガラスで覆われたシャワーブースがあった。
その中に、湯気を立たせながら美しい肢体を惜しげなく艶めかす、さゆがいる。
さゆは髪が濡れないように、長い黒髪を後頭部で幾重にか束ね、それをピンで高い位置に留めていた。
私はそのまま通り過ぎ、ルームの奥にあるブロアバスに湯を貯め始めた。
ホテルのアメニティグッズの中にバラの形をしたバスソープがあったので、それを投げ入れる。
私がバスタブの縁に座り、さゆがシャワーを浴び終えて出てくるのを待っていると、
ブースの中にいるさゆの顔が私を見つけて明るく華やいだものに変わった。
湯気で少し曇ったガラスを内側から指で何やらなぞり始めたかと思うと、
数秒で、私のいる位置からでは裏返って見えるのだが、両端にそれぞれ『あいくん』『さゆみ』と書かれた相合傘が完成した。
私がそれに近付くと、さゆはシャワーを止めた。
ぴた、と訪れる静寂。
部屋中に広がっているのは、ローズの甘い香り。
目の前には、さゆの白い肌。
私はガラスに手を当てた。さゆも私に合わせて、反対側から掌をあてがう。
それから、どちらともなくガラス越しに唇を重ねた。
「…さゆ。好きだよ」
防音ではないから、声は聞こえるはずだった。
さゆはお互いが隔たれている状況をわざと楽しんでいるのか、敢えて口だけを動かして、『さゆみもすき』と応えた。
自然に、さゆの胸へと手が伸びていた。もちろん、直には触れられない。
それから、またキス。さゆも熱を持って応じてくれる。
直接的な刺激を受けられないこの状況が興奮を誘ったのか、私のペニスは荒々しく勃起していた。
私は無意識のうちに摩擦を求め、ガラスにそのペニスを押し当ててしまっていたようだった。
それに気が付いたさゆは、ぺたり、とアヒルのようにかわいらしくその場で床に腰を下ろして、私のそれに向かって舌を伸ばした。
さゆの舌が、私の性器を食そうとする卑猥な消化器官と化し、ガラスの向こうでちろちろと動く。
その薄いピンク色が私の前で蠢くのを目の当たりにして、私は我慢ができなくなり、自分のペニスを手で握った。
包皮を上下させ、陰茎をしごいていると、
さゆの目がポルノ・ビデオを見ているように虚ろな色気を帯び、自慰行為を始めた私に向けられる。
ねっとり、とガラスには舌を這わせたまま、さゆも自分の陰核を指でこすっていた。
隔てられた空間でお互いを見せ合う、私とさゆ。
二人が絶頂に達するまで、それほど時間は必要なかった。
綺麗だった透明なガラスは二人の濃密な体液で汚れ、こちら側から見えるさゆの姿には靄がかかったようになった。
私は、ともすれば何かを暗示しているとも思われたその光景を頭から打ち消し、ブースの角を回って、その扉を開けた。
さゆが声を上げた。
「あっ、だめだよ、愛君、中に入ってきたら。恋人同士が触れたくても触れられないっていう、このシチュエーションがいいのに」
「こんなのじゃ、全然、物足りないよ」さゆの腰に手を回す。
「さゆみも」さゆが私に抱きついてくる。
私はさゆの身体に触れながら、ベッドへ行こう、と促した。
バスルームを出て、さゆが軽く水を拭き取っている間に、私のペニスは再び怒張を始めていた。
さゆがベッドに寝そべって、束ねていた髪を振り解いた瞬間に、私はその上に覆い被さった。
柔らかな双丘に顔を埋め、さゆのその濡れそぼった蜜壺へ、剥き出しの欲望を挿し入れる。
すると、さゆが私に聞いた。
「愛君、ゴム、着けてる?」
さゆが避妊の意思を私に示したのは、このときが初めてだった。
私は首を横に振って、それから、腰を動かしながら答えた。
「また中に出すよ。いいでしょ?私の赤ちゃん、さゆに産んでほしいんだ」
「駄目だよ」と、さゆは微笑みながら返してきた。
「なんで?お金ならあるよ。結婚もして、二人で育てようよ」
馬鹿げた発言だということは分かっていた。
それでも、結びつきが欲しかった。私とさゆの間に、切っても切れないほどの、強い結びつきが。
恐らくは今日という一日が、私にそう思わせたのだろう。
さゆはもう一度うれしそうにしたが、さゆは頑なだった。
「だめ。愛君は、俳優さんになるんでしょ。この歳で結婚して、子供までいたら、重荷になるだけなの。
さゆみは愛君の夢の邪魔、したくないんだから」
私の呼吸は乱れ、心は軋むような痛みを訴えていた。
さゆは私と、きちんと向き合ってくれているのだ。
「さゆみのどこでも、愛君の好きなところにいっぱいかけていいから、ね」
「…っ!」
さゆは私に対し、どこまでも優しかった。
それは男を悦ばせるため、まださほど長くはない人生であるにも関わらず、
さゆがどこかで学んできた術の一つであることは、さゆと過ごしているうちに何となく分かったが、
それでも、健気で献身的なさゆの心と身に情が溢れて、それは狂おしいまでになって、私はさゆを力を込めて抱いた。
「あん、ちょっと、痛いよ、愛くん」
まるで、そうすれば身体が芯から溶け出してお互いに混ざり合い、一つになれるかのように。
「はっ、はあ、っ、さゆっ」
熱く煮えたぎった肉の塊を、何度も何度もさゆの内側へ滑り込ませた。
その灼熱に溶かされて、とろみのあるゼリーのようになったさゆの愛液が、
獣と化した私をより深く受け入れようと抽送の手助けをする。
「ああんっ…愛君の、やっぱり、太くて、大きくて、気持ちいいの…っ!」
さゆが喘ぐ。
「もっと、もっと、さゆみを突いて、さゆみ、さゆみを犯して…さゆみを、また愛君のものにして…!」
長い黒髪を乱し、眼は酔ったような光を帯び、口は大きく開かれて、はっ、はっ、と短く荒い息をも刻む。
そうして出来た穴に私が指を掲げれば、淫らに舌を絡ませることもする。
「すごくエッチだ。さゆ…!」
波打つ乳房の一つを空いた手で揉みしだいてやると、白艶に輝く肌が、弓なりに大きく仰け反った。
さゆの全身は、どこに触れても敏感な反応を見せ、まるで男に心地良い性感をもたらすためだけにあるみたいだった。
「愛くん…愛くんの、すごい、いいっ!」
剛直を打ち込む度に、さゆの口から美酒の靄とも感じさせる、淫靡な声が漏れ出す。
五感を、目の前に広がる白花にひたらせると、満身の骨がとろける感覚が私を襲った。
「さゆの中、気持ちいいよ…はあ、はあ…さゆみ…さゆみっ…!」
「あっ、ああっ!さゆみ、もう…っ!あ、ああんっ!」
私の唾液で光を反射するようになった妖艶な首筋を見せつけるようにして、顎先がぴんと跳ねたのはそのときだ。
同時に、さゆの声が聞こえなくなった。
びく、びく、とさゆの身体がリズミカルに小気味よく痙攣して、さゆの膣が閉じる貝口のように私を締め付けてくる。
私の全身も震えた。
「く…っ!」
ぶるぶると、私の総身の毛穴が粟立つ。
狂悦の一瞬。
中には出すまいと、渾身の力を込めて、私に吸い付かんばかりのさゆの身体から、何とか性器を引き抜いた。
行き場なく溜まりに溜まった精液が、ついに発射の許可を得て、勢いを付けて噴出する。
さゆの下腹部から臍周辺に放ったつもりの白濁は、さゆの顔にまで到達した。
余韻もそこそこに、さゆは惚けた顔で私の精液を指で掬い、それを口に運んだ。
「いっぱい、でたね」
私はその口に、嚥下を終えることすら待たず、ペニスを突き出していた。
「さゆ。こっちも、舐めて綺麗にして。すぐに続きがしたい」
てらてらとぬめり光るペニス。
付着しているそれが唾液なのか、さゆの潤滑液なのか、私が放出した精液なのかはもう見分けが付かなくなっていたが、
さゆは嫌がる顔などせず、笑顔で口に咥えこむ。
「今日の愛くん、なんだかいつもより積極的だね」
二度の射精を終え、それぞれ一回の射精には多すぎた子種を排出して弛緩した私のモノは、まだ再び膨らみ始める様子がなかった。
つまりこれが、一つの機会の到来を指していた。
今このときであれば、いつぞやのようにさゆに誘惑されたとしても、さゆに対する私の追求は終わらないだろう、ということだ。
それはさゆにとっても、私にとっても同様に逃げ道がないということだったが、私は既に意を決していた。
さゆの何気ないその一言を合図にして、瞬きよりは少し長い、といった程度の時間、一度大きく目を閉じた。
それは『演技』を始めるための、身も心も役に入り込むための儀式だった。
素の自分は身体の奥底へ沈み込み、入れ替わるようにして表層へ、もう一人の自分が顔を出すように。
地方で暮らしていた一介の高校生に上京という夢を果たさせ、高級な住居に住まわせるなど、
過ぎた待遇で迎え入れるほどに見込まれた私の演技者としての才能というものは、単純ではあれど、
こうして自らを殺し、与えられた役に没頭する能力にあるらしかった。
といっても、私にとっては演技に入る前に緊張を解くためのただの験かつぎでしかなく、その力を過信するほど自覚しているわけでもない。
私は自分を殺すことなどせず、ただ演じるだけだ。
真実を知った私を。
その私はさゆに答えた。
「あの、彼のように?」
その声は冷徹に満ちていた。
「こっちへ」
私の口振りに、呆気にとられ、呆然と私を見つめるさゆの手を素早く引っ張り、
ベッドから立ち上がったさゆの身体が私から見て後ろ向きになるように、部屋の窓際へ押し当てる。
サッシに置かれた携帯電話の存在に気付かせるためだ。
「それ、さゆのケータイだよね」
さゆは、思わずはっと口に手を当て驚きはしたものの、頷くことはせず、こちらへ振り向くこともせず、
私の真意を探るように、ただ黙っていた。
「答える必要はないよ。あの彼から受け取って、中も見たんだ。
今朝私宛に送信されてきたような、さゆのかわいい自画撮り写真があった。
でも、保存されていた画像は、それだけじゃなかった」
感情を込めることなく、ただ淡々と、私の台本に書かれた台詞を読んでいく。
「画像の中に、里沙の写真があったよ。
それだけじゃない。たくさんの、女の子の写真があった。
みんな赤く目を腫らして、着衣は乱れていて、それは一目見ただけで、誰かに無理矢理脱がされたのだと分かるほど」
さゆが神妙な面持ちで、こちらへ振り向いた。
私は続けた。
「さゆに出会うよりも前、今から一ヶ月ほど前かな。ある日突然、私のケータイに、里沙から着信があってね。
電話に出てみても、何の反応もない、無言電話だった。
ただのいたずらか、電波状態が悪いのかと、そのときはそれで納得できたんだけど」
私はさゆの目を見た。さゆは私の視線を避けるように、顔ごと背けた。
「なぜ里沙は何も言葉を発しなかったのか。おそらく、里沙は何かものを話せる状態じゃなかったに違いない。
では、そんな状態で、なぜ私に電話を掛けてきたのか。それは、分からない。でもね」
私は舞台役者のように、声を張り上げ続けた。
「画像が保存された日時と、その無言電話がかかってきた時間が、ほぼ同じだったんだ。
正確には、画像の時間の方が遅かった。
まるで、行為の後、口封じのため、撮影されたみたいに」
さゆの肩に力が入ったのが分かった。
「レイプだよ。考えなくても分かることで、もう誤魔化しようがない。
里沙はレイプされた。君と、おそらくは、あの彼によって」
私は独り言のように言った。
「男である私には、想像できないほどの恥辱さ。
正気の沙汰じゃないよ。
理不尽で、不条理。非道で、抗えない卑怯な行為だ。
画像に写っていた里沙の瞳にも、悔しさが滲み溢れていたよ。
私はあの里沙の姿を一生忘れられない」
さゆは黙っている。私に対し嘘を吐く気はないのだろう。
そのことが、せめてもの救いにさえ思える。
「君たちに、行為の動機を聞きたいなんて思っていないよ。狂人のすることに、理解なんて及ばない。
私が聞きたいのは、里沙に起こった不幸だけだ。
君たちが、あの電話の向こうにいたんだな?
里沙からケータイを奪って、私の名前を聞き出し、私に里沙の悲鳴でも聞かせようとしたのか?」
さゆはどちらとも答えなかった。答えないということが、質問の答えだった。
「あの彼は、私にそのケータイを見せたがっているみたいだった。
君は、私が里沙と付き合っていたことを、私のマンションで里沙に会う前から知っていたな?」
これは筋書きにはない質問だった。
私はさゆの反応だけに意識を集中させた。
「私が君に近付いたとき、私が君に名前を名乗ったとき、
君は私を見て、かくも愚かな男だと、そう思っていたのか?」
自分の言っていることが半ば事実だと自身で認めると、情けなくなって、私の声は震えた。
「違う。それは、ちがうの…」
さゆの瞳に生命が戻り、ようやく私に否定を示した。
「さゆみは愛君のことが、本当に…本当に好きなの」
それから、
「好きに、なったの」
と言い直した。
「始めは、絵里君と別れて、さゆみの寂しさを紛らわせてくれるなら、誰でも良かったの。
でも、愛君に出会って、愛君とおしゃべりしたり、デートするうちに、そう思うことはなくなったの。
この人なら、さゆみを幸せにしてくれる。愛君と一緒に居ることができれば、こんな…こんなさゆみでも幸せに、って…」
さゆの瞳は、画像で見た里沙の瞳と同じように赤くなっていた。
もう何も聞くべきことはなかった。
「私は君のことが大嫌いだ」
私が衣服を身に纏う間の数分間、肩を落としたままのさゆを残して、私はホテルの部屋を後にした。
全て、嘘の苦手な私が、さゆに見破られない嘘を吐くための演技だった。
これほど後味の悪い最低の役を演じたのは、このときを置いて他にない。
第二十一話へ...
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